『東南アジア考古学』第40号(2021年1月刊行)掲載原稿概要一覧

 

 種別  論文
 タイトル  カンボジア、サンボー・プレイ・クック遺跡群都市区出土土器の研究
 著者  横山 未来(早稲田大学)
 掲載ページ  5-20
 要旨   カンボジア中部、コンポン・トム州に位置するサンボー・プレイ・クック遺跡群は、土塁に囲まれた都市区とレンガ積祠堂が立ち並ぶ寺院区から構成される複合遺跡群である。同遺跡群は、『隋書』真臘伝や『大唐西域記』にみられる伊奢那城あるいは伊奢補羅国、すなわちクメール刻文で言及されるイーシャーナプラに比定されており、プレ・アンコール時代の真臘の王都として繁栄したとされる。本稿では、同遺跡群における都市の利用年代とカンボジアの土器変遷について考察を行うが、2015年に行われた都市区M90地点の発掘調査では、豊富な遺物が出土し、3期にわたる土器様相の変遷が見られた。また、同じ文化圏に属する遺跡の出土遺物との比較により、回転台の導入に代表される陶製技術の進展が、器種や器形の変化に影響を及ぼしたことも指摘できる。
 キーワード  カンボジア、プレ・アンコール時代、サンボー・プレイ・クック遺跡群、土器
 掲載言語  日本語

 種別  論文
 タイトル  現代のモノの移動と考古学:あるバンチェン土器の事例から
 著者  田代 亜紀子(北海道大学)
 掲載ページ  21-33
 要旨   バンチェン遺跡(タイ)は、タイの代表的な先史時代の遺跡である。1960年代の発見、1970年代の発掘に続き、古美術商により、バンチェン土器といわれる土器の取引がおこなわれ、多くが国外に流出すると同時に偽物も登場した。土器のような可動遺産は、世界中の博物館に対する文化財返還問題が起きている近年の状況では、より複雑かつグローバルな問題として取り扱われてきた。本稿では、1970年代に日本に持ち込まれた2点の伝バンチェンといわれる土器を対象とし、個人に所有されていたモノが、どのようにヘリテージとして認識されていくのか、現代におけるモノの移動と考古学の関係性を考察する。
 キーワード  モノの移動、考古学、パブリック・アーケオロジー、バンチェン土器
 掲載言語  日本語

 種別  研究ノート
 タイトル  マレーシア・クダ州カンポン・バル寺院遺跡出土の貿易陶磁
 著者  森 淳子(マレーシア国民大学)
 掲載ページ  37-53
 要旨   マレーシア・クダ州カンポン・バル寺院遺跡は、同国の原史時代を代表するブジャン谷遺跡群内にあり、地元研究者は仏教寺院と推定している。2016、17年の発掘調査で出土した貿易陶磁片1,371点を産地別にみると、中国が50%、ペルシャが18%、ベトナムが6%、タイが2%で、ペルシャ陶器の比重が2番目に高かった。大宰府の貿易陶磁編年に基づく分析では、全体の61%で同編年が利用でき、うち21%は8世紀後半から10世紀中頃、25%は11世紀後半から12世紀後半で、14世紀後半以降は大幅に減少していた。これらの分析から同遺跡を含むブジャン谷は、中国とペルシャを結ぶ貿易ネットワークの1拠点で、8-9世紀から14世紀頃までの長期にわたり利用されていたと考えられる。
 キーワード  マレーシア、ブジャン谷、貿易陶磁、ペルシャ陶器
 掲載言語  日本語

 種別  研究ノート
 タイトル  現代タイ社会における「考古学」と遺跡の保存
 著者  白石 華子(京都大学)
 掲載ページ  55-69
 要旨   本稿は現代タイにおける考古学の営みの全体像を明らかにし、またそれが遺跡保存においてどのような指向性を持つのかという点について予察的な検討をおこなうことを目的としている。初めにタイの考古学について歴史的背景や組織体制、教育、法制度の面から検討し、「考古学」と呼ばれる営為の範囲や中身について基本的な整理をおこなう。またその中心的アクターである文化省芸術局とシンラパコーン大学が近年おこなった遺跡保存の実例を示し、両者の遺跡保存に対する姿勢やその特徴、課題、そしてその背景にある政治・経済・学術的要因について考察することで、タイにおける考古学と遺跡保存の関係の一端を明らかにする。
 キーワード  タイ、考古学、遺跡保存、芸術局、シンラパコーン大学
 掲載言語  日本語

 種別  資料紹介
 タイトル  ラオス・ヴィエンチャン旧都城内出土の初期伊万里
 著者  清水 菜穂(Lao National Museum)
 掲載ページ  73-79
 要旨  It is well established that Japanese Hizen ceramics were exported in large amounts to Southeast Asia during the second half of the 17th century. In Mainland Southeast Asia, Hizen porcelain fragments have been recovered from many archaeological sites in Thailand, Vietnam, Cambodia, and the Lao PDR. However, the number and volume of Hizen’s earliest porcelain or so-called “Early Imari ware”, produced during the 1630~1650s is yet very few. Vientiane was established as Lao’s capital of Lane Xang in 1560. A large-scaled excavation survey was undertaken recently in the old city of Vientiane to find 285 pieces of Hizen ceramics in total. My detailed analysis confirms the four specimens of “Early Imari ware” among them. How were Japanese earliest porcelains transported and brought into this inland, remote and small capital? This brief paper reports their attributes and characteristics as well as discussing archaeological insights, in terms of foreign ceramic trade in Mainland Southeast Asia.
 キーワード  Early Imari ware, Hizen porcelain, Trade ceramics, Lane Xang Kingdom, Vientiane
 掲載言語  日本語

 種別  書評
 タイトル  『ヒトはなぜ海を越えたのかーオセアニア考古学の挑戦ー』秋道 智彌・印東 道子 編著、2020年
 著者  江上 幹幸(沖縄国際大学)
 掲載ページ  83-86
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 掲載言語  日本語

 種別  マングローブ通信
 タイトル  コロナ禍で行われた若手研究者によるオンライン勉強会
 著者  東南アジア考古学オンライン勉強会
 掲載ページ  87-89
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 キーワード  -
 掲載言語  日本語